<桜木小学校集>
櫻木小学校校歌
開校の歌
運動会の歌
応 援 歌
満州小学唱歌集
(*) は岩田惇氏の編曲と製作によるシンセサイザ。
  <1年>
メ ガ デ タ
ウサギウマ
ト マ ト
カラストロバ
ア キ
ロシャパン(*)
リ ン ク
バクチク
  <2年>
ネコヤナギ
ナシノハナ
カゾヘマス
やなぎのわた
馬   車
なみ木のざんばつ
は ま に
こうりゃんさらさら(*)
あかいおうち
夕 や け
たかあしをどり(*)
が   ん
  <3年>
ペんペん草
水兵さん
歌 時 計
娘 々 祭(*)
湯崗子温泉で
ほことたて
一りんしゃ
わたしたち(*)
こ な 雪(*)
小さな駅
水びかり
月が出て来る
守備兵さん
  <4年>
おきな草
ふんころがし
子  羊
  畠 
赤い夕日
ドッヂボール
からたちの花
桃花源
野っばら
空の握手
洗 衣 裳
降る降る小雨
り ん ご
夜行列車
  <5年>
やなぎの春
南満本線(*)
あかしや
駱駝の鈴(*)
木ささげ
轎  車(*)
千  山
 月 
荷   車
大   連
夜 汽 車
スケーチングの歌
  <6年>
居庸関の早春(*)
黒龍江の解氷
春のゆくころ(*)
北   山
熱河離宮
土まんぢゅう
白   塔
望 小 山
鈴 の 音
日の出の歌
 <高小1年>
あじあの歌
楡 の 樹
暮るヽ曠野
爾霊山にたちて
満洲建國の歌

 満州小学唱歌集

 日本の風土に基づいた教科書は、満洲の風土ではかけ離れたもので あったので、満洲の子どもたちが親しみを覚えるような教科書や副読本が必要と されていた。

 これらは、南満州鉄道附属地と関東州で別個に発行されていたが、一九二二年に 両者の事業が一本化され、南満洲教育会が設立された。

 南満洲教育会に設置された教科書編輯部では、唱歌についても検討され『満州 唱歌集』が作られ、二四年に初の唱歌集『満州唱歌集尋常科第1・2学年用』、 続いて二六年に『第3・4学年用』、 二八年に『第5・6学年用』が発行された。

 『満洲唱歌集』は、三二年に大幅な改定が行われ、 当時、内地で著名な歌人、詩人、作曲家による作品、北原白秋作詞・山田耕筰作曲「ペチカ」などの多くが 削除され、より満洲色の濃い内容の歌が編輯部員によって作られた。

 このとき新たに収録された園山民平作曲(作詞者は不明)の「わたしたち」は、最も有名な満州唱歌の一つである。

 三二年に満州国が成立すると、南満洲教育会教科書編輯部は、 日本大使館教務部と関東局が合同で経営する「在満日本教育会教科書編集部」に変更され、 四〇年に2回目の大幅改訂が行われた。  このとき二四年の初の唱歌集に収録された北原白秋作詞・山田耕筰作曲「待ちぼうけ」は、内地でも流行し、 この大改訂で削除された。

 一方、村山昊作詞・園山民平作曲の「たかあしをどり」は、最も人気の高い満州唱歌のひとつで、 二四年発行の『満州唱歌集』に収録されて以降、3度の大改訂で削除されることなく、 残った唯一の満州唱歌である。

 この四〇年時の改訂で唱歌集の題名は『満州小学唱歌集』に変更されているが、 現在は「第2学年用」しか見つかっていない。満洲の風土を歌ったものが いくつか削除され、戦争色の強い歌が掲載された。

 さらに四二年の大改定によって、題名が「ウタノホン」と変更され、 「満州」という言葉が消えた。 「ウタノホン」は上下2巻からなり、上巻は国民学校1年用、 下巻は2年用の教材であったといわれ、内容も6割以上が文部省唱歌で占められており、 満州らしい歌はほとんど削除された。

 このような経緯からみて、三七年に発行された『満州小学唱歌集』は、 南満洲教育会教科書編輯部編であるということから、四〇年以前の
『満洲唱歌集』と言うべきで、 当時の満洲の情景が思い出される歌が、数多く掲載されている。

 (ウィキペディア他による)
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