(児童小説)

線 路        
                                  青 柳 定 郎

 (一)

 「健太。石炭を拾いに行くぞ」
 外出の仕度を始めた父さんに言われた。

 外は氷点下二十度。とにかく寒い。僕も、洋服を重ね着し、毛糸の帽子をかぶり、その上に綿の入った頭巾(ずきん)をかぶった。親指以外は指先の分かれていない分厚い手袋をはめた。石炭を入れるためのリュックサックを背負い、父さんと家を出たのは、一番暖かいといわれるお昼過ぎだった。
 線路へは、家から西へ七、八分も歩けば着く。
 平屋や二階建て住宅の並ぶ道を、滑らないようにゆっくり歩く。道がこおりつき荷馬車の馬も
(ひづめ)をすべらせ、よたよたしながら歩いていた。
 小さな土手を越えると、南北に走る線路に出た。線路は複線で、その間には三メートルほどの高低差があり、急勾配の斜面となっている。
 線路の向こう側は、雪の原野が続いている。遠くに集落がかすかに見える。その北方には、今は使われていない競馬場が見える。
 線路には、およそ百人の人が出ていた。みんな呼吸をするたびに、白い息を吐き出していた。

 僕は八才。四人兄弟の一番上だ。何かと言うと「健太、健太」と父さんから声がかかる。ほんとのことをいえば、こんな寒い日には外に出たくなかった。
 僕は、やけっぱちになって歌い始めた。
 
 寒い北風
 吹いたとて
 おじけるような
 子どもじゃないよ
 満州育ちの
 わたしたち       (満州唱歌「わたしたち」より)

 口をあんまり大きくあけると、冷たい空気が直接のどに入るのがいやで、口をすぼめながら歌った。
 列車が来ない時は、線路内に入り雪を払いのけ、線路石をひっくり返しながら石炭を探した。湿度が低いので、乾いた粉雪が僅かに積もっている程度だ。それも風に吹き飛ばされるので、線路が雪に埋まるようなことめったにない。
 石炭は、小さな粒のようなのばかりしか出てこない。手袋をしていると拾いにくい。手袋をぬいで拾うしかない。
 「父ちゃん。手先がかじかんで、こんな小さな石炭だとつかみにくいね」
 「ごちゃごちゃ言わないで拾え。いまは、石炭がなかなか手に入らないのだ。石炭がないとこの冬は越せないのだぞ」

 南の方から、もくもくと勢いよく煙を吐いて、汽車が近づいてきた。石炭不足で困っていた人達には、「あんなに思い切り石炭を燃やしてみたい」とうらやむほどの煙だ。
 汽車が通り過ぎようとしたそのとき、機関車から線路際で待っている人たちに石炭が投げられた。大きなぴかぴかの石炭だ。
 まわりの人たちも、石炭が投げられた場所に走っていく。まるで甘いものに群がる蟻のようだ。
 「こら、がき。じゃまだ。どけ、どけ」
 僕は弾き飛ばされ、急勾配の斜面を転げ落ちたが、怪我はなかった。
 百メートルくらい先で、また石炭が投げられた。同じように人が群がる。みんな必死だ。
 これじゃ、子どもはなかなか拾えない。せめて、斜面の一番下まで転げ落ちてきたわずかな石炭を拾うのが精一杯だった。 

 (二)

 ここは、満州(中国東北部にあった)の首都・新京(現在は長春市)。昭和二十年、戦争が終わった年の冬だった。
 健太の家では、朝食はいつものように米二分にこうりゃん八分の飯だ。こうりゃんは、満州では主食として食べていたイネ科の穀物で、炊いてもぼそぼそしてうまくない。消化も悪い。
 炊き立てのお釜のふたをとると、もうもうと湯気がひろがる。湯気の中からこうりゃん特有の赤い色をした飯が見えてくる。子どもたちは、茶碗に盛られたこうりゃん飯の中から、白い米だけをはしでつまんで食べた。白い米を食べつくすと
 「もういらない」
 といってはしをおいてしまう。しかし、これでは腹いっぱいにはならない。
 「ごめんね。お米が、高くなって、なかなか手に入らないの。よくかんで食べてちょうだい」
 母さんは情けなさそうに言う。子どもたちは、こうりゃんに醤油ををちょっとかけて無理やり食べた。
 「ああ、銀めしが食いたいなあ」
  銀めしとは、お米だけで炊いたまっ白のご飯のことだ。最近は、お目にかかれない。
 僕がつぶやくと、それまでがまんして食べていた妹や弟は、待っていたように言いだした。
 「あたし、玉子焼きが食べたいな」
 「ぼく、肉まんがいい」
 末っ子は、一才でまだしゃべれない。うまいものを食べたこともない。まだ、母さんのおっぱいにしがみついていたのだった。
 「そうだよな。終戦前までは何でも食えたのになあ」
  父さんまで言い出した。
 「あなたまで何ですか。何とかしてくださいよ」                     
 「会社は潰れてしまったしなあ。この先どうなるのか、さっぱりわからない」
 「そんなこと、いまさらいってもしょうがないでしょ」「鉄砲の弾が飛んでくる戦争ってのも大変だが、戦争が終っても大変なんだよな。きっとこの冬には、寒さや飢え、伝染病で、戦争中より死人が出るぞ」
 「だから、なんとかして生き残って日本に帰らなくちゃ」
  父さんと母さんの話はいつもこうだ。僕には、難しいことはよく分らないが、毎日の暮らしが大変なことは分かる。いずれにしても、僕たちは父さんや母さんについていくしかない。
  

 終戦後、中国人やソ連(ロシア)人は、戦争に勝ったこので、活気に満ちて歩いている。負けた日本人は、小さくなって生きていた。
 健太一家は、疎開先からやっとの思いで新京に戻ってきた。ところが、新京に戻れなくなった人も大勢いた。軍人や役所の人たちとその家族たちだ。
 しかも、日本の警察も役場もなくなってしまった。街の中で何があっても取り締まる者がいなくなった。子どもはひとりで外に出るなといわれていた。学校は閉鎖されたままだし、遊び友達がいなくなってつまらない毎日だった。
 満州奥地の開拓村からは、大勢の人が着のみ着のまま、ぼろぼろになって新京に避難してきた。彼らは空いている官舎や学校を避難所にして、そこに住むようになった。
 父さんが言っていたが、炭鉱も鉄道も、終戦までは日本人が経営していたが、その会社も日本人の手から離れてしまったそうだ。
 だから、冬になると石炭不足は大変になり、新京駅のそばの石炭置き場で、石炭泥棒が鉄砲で撃たれて死んだといううわさが流れた。
 鉄道会社も中国のものになったが、機関士は日本人がそのまま採用されていたそうだ。彼らは日本人が石炭に困っていることをよく知っていた。そんな日本人のために、走る列車から石炭を投げているという噂がひろがっていたのだった。
 健太が父さんと石炭を拾いに行ったのは、そんなときだった。
 
 (三)

 列車が通り過ぎると、また、石炭粒を拾いはじめた。一時間近くたつと、次の列車が見えて来た。
 「健太。こっちにこい」
 「ううん、ここにいる」
  線路越しに父さんが叫んだが、僕は動かなかった。
 僕には、作戦があったのだった。
 なぜ、石炭は列車の進行方向の右へ投げられていたのか。機関車のすぐ後にある石炭車から、機関士は、スコップで石炭をすくっては投げていた。右方向の方が投げやすいのだ。
 石炭拾いの人たちは、みんな列車の右側でまっている。
 もし、機関士が左側にいる自分に気がついて、スコップ一杯だけでも左側に投げてくれたら、長い列車が通り過ぎるまでは誰も来ない。その間に石炭を拾うことが出来る。これも、石炭を左に投げてくれなければ何にもならない。しかし右にいても、大人たちにはじかれて、殆ど拾えない。そこはかけだ。僕は、左側で待つことにした。

貨物列車が目の前に来た。子どもにはきつい風圧がかかる。雪が風に吹き上げられ、ほほに当たる。思わず後ろ向きになる。そのとき、石炭が飛んできた。白い雪の上に石炭が黒々と光っていた。
 大人のこぶしほどの大きな石炭もあった。子どもの姿を見た機関士が投げてくれたのたのだ。
 「やったぁ! 」
 長い貨物列車が通り過ぎるまでに、投げられた石炭を全部拾うことができた。線路をまたいで大人たちが走ってきたときには、もう石炭は残っていなかった。
  僕は、作戦が成功し得意満面な顔をしていた。父さんも、ほめてくれた。
 「健太。よく考えたな。こういうのを知恵というんだ。よし、ほうびをやろう」
 ちょっと北にある橋のそばの露店に僕を連れて行き、ほかほかのまんじゅうを買ってくれた。
 「うちへ帰っても、みんなに黙ってろよ」
 「うん」
  白い大きなまんじゅうには、あんこがたっぷり入っていた。まだ、ふかしたてで熱い。寒いときだけに袋ごしに持っているだけで、ニコニコしてしまう。大きなまんじゅうにかぶりつくと、熱くてハフハフといってしまう。いつも、こうりゃん飯しか食べていなかった健太は、あまりの美味さに、じわりと涙が出てしまった。
 「うまいなあ。石炭拾いがうまくなれば、まんじゅうが食えるってことだ。よーしやるぞ! 」
   

  (四)

 僕は、石炭をいっぱい詰め込んで重くなったリックサックを背負い、軽い足取りで、大きく口を開けて、歌いながら家に帰ってきた。
  

 寒い北風
 吹いたとて
 おじけるような
 子どもじゃないよ
  ・・・・・・・・

 母さんは家で待っていた。小さい妹や弟がいて、家を空けられないのだ。
 「母ちゃん。ほら見て! こんな大きな石炭。僕が拾ったんだぞ」
 「まあ! これを健太が……」
 「母ちゃん、僕ねえ。作戦を考えたのだよ。これは知恵の勝利っていうんだぞ」
 僕は、母さんにその作戦を話した。
 末の妹をおんぶして、あやしていた母さんは、「うん、うん」とうなづきながら、そっと涙を拭いていた。
 きっと、母さんも嬉しかったのだと思う。
 僕は、まんじゅうのことは黙っていた。これは男の約束なんだ。母ちゃんかんべんな。
 僕はその夜、布団の中入ってから、つぶやいていた。
 「僕が石炭を拾ったあとの次の列車からは、僕の真似をして左側にも来る人が出て来るようになった。僕は、みんなから離れるようにして石炭が投げられるのを待った。同じ左側にきた人たちは、すぐに駆け寄ってくる。これじゃ、もう同じ手は使えないな。何か別の作戦を考えなくっちゃな。うーん、なにかいい作戦はないかなあ」
  石炭拾いが嫌だった僕も変わったもんだ。
   

 (五) 

 次の日、僕は朝早く起きた。
 毎朝、外の気温が下がると家のガラス窓がくもるのは秋までで、いまの季節はそれがカチカチにこおり、ぶあつい氷の花模様ができる。それがキラキラ輝ききれいだが、うっかりさわると、手がガラスに凍り付いてしまう。どの家のガラス窓も二重にして、寒さ対策は徹底しているが、それでも部屋の内側の壁にも霜が着くほどである。今朝のガラスの花模様も分厚いぼたんの花のようだった。
 僕は、父さんにも黙って、朝早くそっと家を出た。外は吹雪だった。
 「うっ、さむい! 」
 早朝の気温は、昨日より更に十度は低い。まだ、線路には誰もいなかった。雪が顔につきささる。風下に向いて吹雪を避けた。
 貨物列車はなかなか来ない。僕はじっと耐えて待った。
 こんなに朝早く起きて外に出たことはなかった。朝がこんなに寒いとは思わなかった。
 僕は、寒さのために、だんだん手足が硬直し、動けなくなってきた。人が見たら石のお地蔵様のように見えただろう。とうとう寒さと強風に耐え切れず、ばたりと倒れ、気が遠くなってしまった。
 「健太。何しているのだ。この馬鹿もんが」
 どれだけ時間が経ったのかはっきりしない。僕は、父さんにほほをピシャピシャ叩かれて、気がついた。手足が硬直したままで、依然として動けない
 「お前がいないので探しに来たのだ。もう少し遅ければ死んでいたかもしれないのだぞ。勝手に出歩くんじゃない。命を大切にするんだ」
  父さんに怒られはしたが、心配してくれていたことがよく分かった。
 「父さん。ありがとう。今度はもっといい作戦を考えるよ。また、あのまんじゅうが食いたいな」
 と、父さんの背中でつぶやいた。
 僕はこんな格好で父さんにしょわれていることが恥ずかしかった。こんな格好じゃ、母さんを喜ばせたかったなんて、照れくさくてとても言えるものじゃないよな。
 父さんの背中が温かく感じられ、手足が伸びてくるようだった。
                                                  おわり 
    

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