満州での逃亡生活 (1)

前原英彦 終戦時5年生
 父親の関係で昭和20年4月に黒河の南方の納河ノンホウ街に移転して 5年生として黒河在満国民学校から納河在満国民学校に転入した。

5年生と6年生が一学級という複式学級で、生徒数十数名だったことを覚えている。

 この納河で敗戦になり8月19日より避難民としての生活が1年3か月続いた。 最初は日本に帰るべく移動し、納河から嫩江ノンコウ街(昭和21年正月)で 5か月間ほど滞在し、嫩江街から南方の 斉斉哈爾チチハル市 に移動し、斉斉吟爾にて21年8月まで生活。

 この間私がタバコ売りして家族5人の生活を支えてきた。当時国民学校の6年生であった。

 記憶では一日250円から270円の水揚げが必要だった。

 斉斉吟爾市の半年間に数回人民裁判を近くの


公園で見たが、子ども心を痛め頭から離れない。

 21年11月、葫蘆島より博多に引き揚げる。
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